「秘密のケンミンSHOW」茨城県!ツッパリ王国「茨城ヤンキー伝説」は本当か?【実録】7/11
秘密のケンミンSHOW!茨城県!懐かしのツッパリ王国・茨城ヤンキー伝説を紹介!
多くの茨城ケンミンから続々驚きの「茨城ヤンキー伝説」が聞かれます。
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◆茨城ヤンキーの特徴
今は少なくなっているかもしれませんが、当時から駅やコンビニに、あからさまに「ヤンキー」な格好をした集団をよく見かけました。
昼でも夜でも、茨城ヤンキーは関係なく出没。
なぜか女の子は皆、キティちゃんのつっかけサンダルを履いていたように思います。
出入り口近辺にいることが多いので、通行の際に邪魔ではありますが、何もしなければ特に何も害はありません。
ただ、じっと見ていると「何見てんだ?」と絡まれるので、不必要に見ない方が得策です。
あとは、茨城ヤンキーはバイクに乗っている人が多いです。
茨城県は田舎なので、夜はとても静かなのですが、爆音を鳴らしながら走るバイクの音だけは、頻繁に聞こえていました。
特に、駅のロータリー等ではぐるぐるぐるぐる回り続けるバイク達がたくさんいたように思います。
◆現在でも古き良き茨城県ヤンキーは健在
まず茨城ヤンキーの行動として春や秋の夜には大通りを爆音立ててバイクで突っ走るのは当たり前。
基本的に5人から10人の集団で走っていることが多いです。
しかし昔(30年くらい前)は数十人単位で走っていたといわれているため、そのころに比べればだいぶおとなしくなった方。
成人式の時も会場の駐車場に特攻服や艶やかな格好、「これぞヤンキー」といえるようなリーゼントに金髪の髪型でバイクを乗り入れてきます。
ただし今の茨城ヤンキーは騒ぎを起こそうという考え方があるわけではなく、むしろ自分の格好を周りに見せつける目的の方がメインといった方が良い感じです。
ただし平日の昼間はあまり走っている姿は見かけません。
水戸市やつくば市など都市部から離れている地域であれば平日の昼間でも走っている可能性もあるのでは?
県の海側(鹿行地域:行方市や鹿島市を中心とする地域)に行くと、より古き良き茨城ヤンキーを見かけることができます。
◆茨城県ヤンキー!昭和の名残「イバヤン」の特徴は?
茨城ヤンキーは通称「イバヤン」と呼ばれています。
千葉のヤンキー「チバヤン」や、埼玉のヤンキー「タマヤン」に比べると、いまいち垢抜けないイメージのイバヤンですが、いまだに夜の大通りをブンブン騒音を上げて走る単車の茨城ヤンキー集団がいます。
そういう昭和の名残のような暴走族・珍走団っぽい茨城ヤンキー連中もいるにはいます。
中には本当にただただ迷惑極まりないようなのもいますが、ほとんどのイバヤンは案外きちんと道路交通法を守って走っているのも、現代っぽいというか逆に面白いですね。
そしてあまり深夜の遅い時間にはそういうことをしなかったり、ちゃんと住宅街の近くだと騒音を出さなかったり、意外と気を遣っているのもイバヤンの特徴だと思います。
「イバヤンは夜は寝る」とか言われたりしています。
単に迷惑行為をして社会に反抗しているというよりも、そういうファッションなども含めて茨城ヤンキーを楽しんでいるという印象です。
◆茨城県ヤンキーは海を目指す!?
茨城県鹿行、鹿嶋市を北上していくと、集団だったり単独だったりの茨城ヤンキーのバイク青年たちをみかける確率がとても高いです。
夏でも冬でも、確実に世間的にいわれる普通のライダーではない茨城ヤンキーたちに会えます。
私は国道354号線と国道51号線が交わる周辺の話をしていますが、夕方から夜に、高らかなバイクの排気音を聞くことが多いです。
茨城ヤンキーは常に海に向かって走っていっているように感じます。
大竹海岸なのか、大洗海岸なのか、そちらに向かっているように感じます。
また出会うことも多いです。
たまにその茨城ヤンキーの列の最後の方に、年齢の高い方も見受けられたりします。(その方は車だったりします)
昔を懐かしんでいらっしゃるのか、わかりません。
ただし、昔のように信号無視をしたり、一般車両の走行を遅らせたりはしていません。
現在の茨城ヤンキーは、騒音以外は自己アピールのような感じで、迷惑運転には出会ったことはありません。
◆劇団ひとり「春樹」がまんま茨城県ヤンキー
たしかに茨城ヤンキーは多いと思います。
東京で言うチーマーみたいのではなくいわゆる学ランを着て闊歩するような感じのもたまに見かけます。
ただ茨城ヤンキーは意外と怖くなく、話すと茨城弁で面白いですよ。
あとサングラスで派手なシャツを着てるのもいますね。
昔劇団ひとりがネタでやっていた春樹というネタそっくりのヤンキーです。
喋り方も劇団ひとりがうまく茨城ヤンキーの真似をしてました。
茨城ヤンキーの生息地域ですが、特に多いのが県南でしょうか。
シャコタンの車で暴走してる様子はたまに見ます。
一度深夜に茨城ヤンキーがめちゃくちゃ集まってるのを見たことがあります。
駅のロータリーを車占拠していたビックリしました。
聞いた話だと改造車の集まりのイベントだったとのことですが定かではないです。
ひたちなか市に茨城ヤンキーが集まるお店があるらしくそこで「ヤンキーピラフ」という商品が提供さらてるのも、茨城らしいかなと思います。
◆茨城県ヤンキー伝説「バッタジャージ」の中学校!
茨城県では中学時代恐れられていた茨城ヤンキーだらけの中学校がありました。
その中学の生徒(茨城ヤンキー)と目を合わせてしまったら
「お前何見てんだよ」
「金持ってんのか?今すぐここで上にジャンプしろよ」
と言われポケットにお金が入っていたら持ってかれたり、裏に連れていかれてしまうという評判でした。
その中学校を恐れている人は数多くいて、用心したとしても、私たちの市の全ての中学校は制服が同じ学生服(ボタンだけ学校によって違う)の為、見分けがつかず、どこにそのステルス茨城ヤンキーがいるかわからないことが大半でした。
しかし、幸運なことにその中学校の体操服には特徴がありました。
色は黄緑色で通称「バッタジャージ」で体操服を着ているときは私たちはそのバッタを見つけることができ、茨城ヤンキーの難を数多く逃れたことを思い出します。
しかし、1年で1度どんでもない日がやってくるのです。
それは、そのバッタ中学が体育祭のときです。
夕方の駅構内は茨城ヤンキーバッタが夕日に照らされ電車を待っている光景がバッタがこの世を支配しているようでこの世の終わりだ!と途方に暮れていたことを思い出しました。
◆茨城県ヤンキー伝説 地元民の生の声【実録】
今自分は40代なのですが、ちょうどヤンキーという希少生体が減少を始めた世代なんだと思います。
なので洗練さを求める学生と未だ昭和をひきづるヤンキーが共存する混沌とした世代なのです。
この世代のヤンキーはまだまだ短ランボンタンをこよなく愛し、原付を乗り回すことがかっこいがいいことだと歴代の先輩方から教えられたことを従順に守るいわば伝統芸のような人たちで、高校生になっても、駅前などで芸を振舞っていました。
リーダー格は原付、その子分たちはチャリンコという序列も出来上がっており、むしろ統制のとれた団体芸であるかのよう。
髪型もリーゼントや剃り込みパンチなどがまだ良いとされる社会構造であったため、一般的な学生と比べるとより差別化がはかられる世代といっても過言ではないでしょう。
当時東京はストリート系ファションのチーマーが流行り始めたのですが、地元ではまだビーバップハイスクールが主流でした。
私は茨城県日立市出身です。高校まで地元にいました。
大学から東京に出てきましたが、その時に初めて茨城は「ヤンキーが多い」と一般的に思われているということを知りました。
思い返すとたしかにヤンキーは多いと思います。
しかも、少し古めのヤンキーが多いです。
日常的には、夜寝る際に必ずと言って良いほど毎日、集団バイクが走る音が聞こえていました。
映画で見るようなピロリロ?と音がなるタイプのバイクもよく走っています。
東京ではあまり見ません。
あとは、日立にはイトーヨーカドーがあり、そこが唯一の若者の溜まり場という感じなのですが、特攻服を着ているヤンキーもよくいました。
「常陸上等」などと書いてある特攻服をきてヨーカドーの前に座っていたり踊っていたりしていました。
当時はその光景が普通でしたが今考えるとちょっと笑ってしまいます。